「あ、いたいた。三葵!」
中等部の廊下、目的の人物を見つけ後ろから呼び止める。なめらかな流れで振り返る様を見ると、やはり一応お嬢様ってことなのだろう、動きに無駄がない。
「これはこれは誠さん。土曜日の半ドンでこれから帰る中学生を呼び止めてこれからお茶にでも誘う魂胆ですか。」
コイツの使う単語はいつもどこかしら古臭い。あと皮肉交じりだ。
「阿呆か。ほれコレ、紗羅から。美琴さんに渡してくれと。いつものだそうだ。」
紗羅の名を出した瞬間、俺にも分かるか分からないかのごく一瞬、顔をしかめたがすぐに淑やかな笑顔を繰り出した。
「いつもすみません。あの人も誠さんを使わないで、たまには自分で渡せばいいのに。」
たぶん、今のは教室前の廊下と云う場所を考慮した表向きの言葉だろう。
差し出した封筒を俺の手から受け取る。
斎藤三葵、中学1年生。季沙の幼なじみであるところの斎藤紗羅の妹。季沙との縁で2年前に知り合ったが、その頃小学5年生の三葵はおよそ小学生と云う言葉が最も似つかわしくない小学生だった。今は性格や表情も少し丸くなったように感じる。
しかし姉の紗羅とはずっと不仲らしい。紗羅は昔から何とか仲良くなろうと努力しているらしいが、三葵のほうがそれをことごとく拒否するらしい。このふたりが義理の姉妹だと云うのは最近知った。
「ところで誠さん。今日はこのあと予定があるんですか?」
「いや、とくに何も。どこかで昼飯食って家に帰ろうかと思ってるくらいだ。」
「おや、恋人の季沙さんや昔フラれた幼なじみの麻子さんとのご予定はないんですか。」
なんでこう、かさぶためくって更に針で突くようなことを云うのかな、この娘は。
「季沙は部活。大会が近いから猛練習だよ。麻子は麻子でなんか調べることがあるとかで図書館に行った。」
「ああ、文化部は3年生の引退は夏休みの最中ですからね。麻子さんが何を調べているのか興味はありますけど、今日のところは要するに、誠さんはこのあと暇を持て余しているわけですね。」
「ま、そうだな。」
肯定するのも癪だったが事実なのでしょうがない。
「じゃあ、これからご飯を食べに行きましょう。誠さんのおごりで。」
「はぁ!?」
急なトンデモワードに思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。中等部の生徒が一斉に振り向く。恥ずかしいな ちくしょう。
「なんで俺がお前の昼飯を奢らにゃならんのだ。だいたい さっきお前、暗に自分を誘うなと俺に云わなかったか?」
いや、別にコイツを誘いたいと思ったことは一度もないのだが。
「そうですね、私も誠さんから誘われるとさすがに寒気がしますが、あくまでも私が私の意思で誠さんに媚びっているのですから問題はないと思います。」
どこまでもませた中学生である。
「しゃーねえな。ラーメンしかおごらねえぞ。」
コイツには口で勝てる気がしないので仕方なく折れる。というか、いつもそんな感じだ。
「さすが誠さん、懐が寒いです。」
「ばかやろう。懐は寒いやつほど広いんだ。」
ホント、勝てる気がしない。
近場のラーメン屋で腹を満たした後、俺はなぜか稲場神社へと足を運んでいる。もちろん、三葵との会話の流れでそうなってしまったからだ。本音を云うと早く家に帰って冷房の効いた部屋で、先週までの試験期間で溜めに溜めている雑誌やらを消化したいのだが、どうやらそれは明日になりそうだ。
「ところで訊いたことなかったけど、その封筒って何なんだ?」
「封筒は封筒ですよ。強いて言うならば二重構造になっていて、中に入っている物を誠さんのように興味津々な男子高校生が太陽に透かして見ても決して分からないようになっている、ちょっと変わった封筒ですけど。」
「人のことを本屋でグラビアアイドルの袋とじを下から広げて見ようとしている奴みたいに云うな。」
「……?違うんですか。」
そろそろ殴っていいだろうか。
「まあ冗談はさておくとして、中身はただの万札ですよ。」
「万札?諭吉先生?」
「はい、福沢諭吉先生と鳳凰の絵が描かれた一万円札です。いくら旧家だからって、聖徳太子は使いませんよ。」
いや、そういうつもりはマッタク全然これっぽちもなかったんだが。
「お金なら、わざわざ手渡しじゃなくても銀行とかに振り込めばいいだろう。」
「いえ、美琴は自他共に認める大の機械音痴で、ハイテクになればなるほどパニクるというまるで漫画の人物みたいなキャラ設定でして。」
「要するにATMを使えないと。でもそれなら窓口でも引き出せるだろ?」
「そうなんですけど。基本は神社暮らしなんで、街に下りてひとりで出歩くと必ず迷うんですよ。銀行を使う以前というか。」
機械音痴で方向音痴。それでわざわざ現金を手渡ししているというわけか。
「ちなみに何のお金かと申しますと、ウチが毎月お札を書いてやってるんですね、斎藤に。家内安全や火の用心と云った類の、あのお札ですよ?本当は呪詛とか書いてやりたいんですけど。まあそれはさておき、そのお札が一枚一万円というわけなのですよ。」
「なるほど、おフダのおレイにおサツと、なかなか洒落てるな。」
云ってからしまったと思った。コイツのことだ、また氷のように冷ややかな目で俺を貶すに違いない。そう思ってちらっと横を歩く三葵を見た。
「………。」
何か考えている。俺への貶し言葉ならいつもは間髪入れずに送って来るんだが。
「ああ、お札のお礼にお札、そう云う意味ですか。」
どうやら単に通じにくかっただけらしい。
「ふふっ。」
しかし、次の瞬間三葵の口から発せられたのは笑い声だった。
「はははは!誠さん、なかなか面白いこと云いますね!ふふふっ、お札のお礼にお札……!」
意外だった。まさかこんな程度のギャグ(?)がツボだったということも意外だったが、コイツが笑うということが意外だった。知り合ってから2年、初めて三葵の笑顔を見た気がする。
「やれやれ。」
その明るい笑い声と、自然な笑顔。それはとても、中学生の女の子らしいものだった。
時期としては2004年、7月中旬。期末試験も終わりあとは夏休みへ向かうだけの日々。
そんなとある土曜日の午後のお話です。
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