「おれ、昔からお前のこと好きなんだ。」
会話の流れでチャンスを掴んだその瞬間。おれは彼女に告白した。長年募らせたこの恋を、ついに伝えられた。そして、幼なじみである彼女も、同じ思いを持っているとおれは勝手にそう信じていた。
「ごめん。ボク、そういうのは、違うから。」
そう。そう思っていたのはおれだけだった。要するにただのバカな勘違いで、彼女にとっておれは、ただの幼なじみで、兄のような存在だったんだ。
一つ屋根の下で一緒に暮らしながら、一人でから回りしていた。バカな道化だ。
その日以来、見るだけで幸せになれた彼女の顔とは目も合わせられず、どうでもいい内容の会話でもそれだけで楽しかったのに、今では一言二言、単語レベルでしか話せていない。
彼女は、中岡麻子は、おれにとって大切な存在なんだ。子供の頃から、今も変わらず、彼女と一緒にいたいという願いはおれの中にいつもある。それは間違いない。だから……。
「こんにちはー。麻子いる?」
あれから一ヵ月ほど経った寒空の昼下がり、麻子の姉の麻耶さんが家を訪ねてきた。麻耶さんと会うのは、麻子がドイツから戻ってきた日以来だから、三ヵ月ぶりくらいだ。
背は男子平均身長のおれより少し高く、髪はポニーテールで束ねてなお腰まで届きそうなほど長い。ただ胸だけは、その背格好の割には少し控えめな印象を受ける。
「誠君?久しぶりに会うなりその視線は失礼じゃないかな。」
「あ、いえ。その……。」
「まいいや。それで、麻子はいるの?」
「いまは、泉水と買い物に行っています。」
麻子もさすがに気まずさを感じたのか、最近の休日は外で過ごすことが多くなっている。
「そっか。それは丁度いい。」
「何がです?」
「誠君、ちょっとウチに来てくれる?」
麻耶さんの家、つまり麻子の家は、うちのすぐ隣にある。なので勝手知ったるというか、特に案内されるでもなくリビングのソファに腰を掛け、麻耶さんはキッチンでお茶を用意し始めた。
おれとは3つ違いの麻耶さんは、おれにとっても姉のような存在であり、昔から何かと世話になっている。
2年前、麻子の親父さんがドイツへ転勤する際、当時高校生だった麻耶さんだけは日本に残りこの家で一人暮しをしていた。しかし今年から中心部の大学に通うことになったことで大学近くのアパートに住むようになり、こっちには主に週末、掃除をしに帰るようになった。
麻子が帰国した当初は麻子が住む予定だったそうで、麻子もそのつもりだったらしいが、一人では心配だと云う方々からの指摘により我が家へ居候することになった。それが三ヵ月前のことだ。
「ところで聞いたんだけど、誠君、麻子に告白して撃沈したんだってー?」
淹れたての紅茶をテーブルに置きながら、にこやかな表情でそんな話をふられた。
最悪な気分だ。自分がフラれたことを知られることだけでも恥ずかしいのに、それどころかフラれた相手の姉にそれを知られていて、あまつさえ何の脈絡もなく話題に挙げられた。穴があったら入りたい。というか自分の家に帰りたい。
「だ、誰からそんな話を?」
「泉水からだけど?」
あのやろう。
「いやー、昔から麻子のことばかり見ていたけど本当に好きだったとはねー。お姉さんびっくり。」
「………。」
「でも麻子の気持ちはー、誠君が思っていたようには行かなかったわけだ。」
隣に座り、けらけらと笑いながら背中を軽くたたいてくる。実に軽快な笑顔である。
「あの、追い討ちは勘弁してください。」
マジで効くから。
「ああゴメン。
でもさあ、気持ち切り替えたほうがいいよー。いつまでもそんな調子じゃあ、間に挟まれてる泉水がかわいそうだし。あの子一ヵ月もよく耐えたよ。」
そうか、それで麻耶さんに相談したってところなのかな。でも確かに、いつまでもこのままなのはよくないと思っている。だけど、そのきっかけが作れずにいるんだ。
「ま、手っ取り早いのは他の好きな女の子を作っちゃうことかなー。」
「簡単に云いますね。」
今まで麻子一筋でいたんだ。そう易々といくものじゃない。
「ま、確かにねえ。他人ごとだしい。」
「…………。」
「じゃあここはひとつ、お姉さんがおまじないを掛けてあげようっか。」
「……っ?」
聞き返す前に、口をふさがれた。それが麻耶さんの唇によるものだと理解するのに、少しの時間を要した。
麻耶さんの体を押し戻そうと持ち上げた手も、彼女の手を重ねられ自由を奪われる。完全にされる側になってしまった。
しばらくの時間をふたりともそのまま動かず、やがて麻耶さんの方から顔を離した。なぜだろう。まるでお風呂上がりのように少し火照っていてうっとりとした表情は、とても色っぽく感じた。
「あっあの、麻耶さん?」
「誠君。キス、初めて?」
それはもちろん。
「はい。」
そうに決まっている。つまるところおれは今、麻耶さんにファーストキスを奪われてしまったことになる。
「わたしダメね。麻子の思いを分かってのに、自分を制められない。お姉ちゃん失格かしら。」
「え?」
「麻子はね、恋愛感情ではないけれど、誠君のことはちゃんと好きなんだよね。あの子はいまの、幼なじみ同士の関係を壊したくないの。きみと麻子と、泉水も、わたしも含めて、いまのままの関係でこれからもいたいって考えてる。」
「そうだったんですか。」
――「そういうのは、違うから。」
あれはそういう意味だったのか。
「麻子のわがままなんだけどね、結局のところ。でも、わたしもわがままなの、誠君。……あのね、お願い聞いてくれる?」
さっきの表情のまま、しかし今にも泣き出しそうな、そんな切ない目をしている。
「本気にならなくてもいい。ううん。本気にならないで。だけど少しだけ、わたしに夢を見させてくれないかな。」
「麻耶さん?」
再びのキス。今度はすぐに離れ、そして云った。
「幼なじみに恋をしていたのは誠君だけじゃなかったってこと。
誠君、一ヵ月だけ、わたしと付き合って。」
―・Izumi Sakamoto・―
今朝。麻子の行きたいところに行こうと外に誘って、市街地の本屋にやって来たと思ったら、CDショップに場所を変え、お昼を過ぎたところで莱来堂でラーメンをおごられ、公園でしばらく噴水を眺めた後は喫茶店に入り、今は3時のティータイムと洒落込んでいた。
「ねえ麻子?」
「………。」
上の空だ。兄さんが麻子に告白して、麻子が兄さんを振って以来、ふたりともずっとこんな感じだ。
(麻耶さん、うまくやってくれてるかなあ。)
失恋してやる気も元気もゼロの兄さんを叱咤激励してもらうため、麻子のお姉さんの麻耶さんに昨日お願いの電話をしたのだけれど、話した感じ楽しんでいるようでもあったのでちょっと心配。
「ねえ泉水。」
「なっなに?」
久しぶりに麻子から話し掛けられた。それが嬉しくて、すこし声が裏返ってしまった。
「ボク、誠のこと好きだよ。泉水も好き。お姉ちゃんも、沙季さんたちもみんな好きなんだ。」
「う、うん。」
「でもそれをずっと続けられたらって思うのは自分勝手なんだ。それは分かってる。それを誠に押し付けようとしてるのも分かってる。ううん、誠だけじゃない。泉水やお姉ちゃんにもだ。でもボク、変わるのがこわいんだ。今の関係が変わってしまうと、自分も変わってしまうようで、それがすごくこわい。こわくて、それで誠を振った。でも結局それが誠を傷つけて、結局今までの関係じゃいられなくなって、みんなに迷惑掛けてる。」
「麻子……。」
どうしよう。なんて言ってあげればいいんだろう。言葉が出てこない。麻子がこんなにも悩んでいるのに、親友として、励ますこともできない。なんて、無力。
「あのね、麻子。私はそれでいいと思う。今は兄さんあんなだけど、その内立ち直ってくれるだろうし、私も今のままの、4人が幼なじみ同士のままが、いいな。」
こんな言葉しか出てこない。自分の言葉になると、どうしてこんなにも気の利かないものしか出てこないんだろう。
「でもね。」
麻子は云って、テーブルのカップを口に持っていき中をすすった。私もここで初めて、カップに口をつける。
麻子はホットコーヒー、私はホットミルク。テーブルに置かれたときは熱そうに湯気が立っていたけれど、今はもう飲み頃を過ぎて少し冷たくなりかけていた。
「でもね、変わらなくちゃいけないんだよ、泉水。」
ナントカという銘柄のコーヒーを飲み干し、さっきの言葉の続きを紡いだ。ブラックコーヒーだというのに一気に飲んでしまったことに唖然となりつつも、私は彼女の言葉の意味を考える。
「変わりたいけど、変われないの?」
「うん。……ところで泉水はさ、告白されたことあるの?」
「けふっ!」
むせた。冷めたホットミルクでむせた。なんの脈絡もなくいきなりとんでもないことを訊かれた。話の趣旨は、たぶんズレてはいないけど。けど、
「私の今の言葉からいきなりどうしてそんな話になるの?」
どうしたって私にそんな質問を投げるような流れではなかったはずだ。
「純粋な好奇心を思い出した。」
意味が分からないことを云いだした。なんかこういう意地悪なところは兄さんにソックリだ。
「あるでしょ?ひとりくらい。」
回想してみる。確かに、まあ、
「2、3人は。」
「わ、すごい。」
なんでそこで少し意外そうな驚いた顔をするのかなあ、この子は。
「それで、好きな男の子はいるの?」
「い、いないよっ。いるわけないじゃない!」
ってなんで、訊かれてアイツのことを一瞬考えたんだ、わたし!
「ふーん。赤面して全否定とは。そっかそっか。」
ニヤニヤとその笑顔をやめて。
「泉水、お願いがあるの。」
だけどその一瞬で、麻子の表情はとても真剣なものに変わった。とても真剣な声だった。
「例えば誰かと付き合うことになっても、ボクとは、ずっと友だちでいてほしいんだ。」
それは、当たり前のこと。だけど、どうしても心配になってしまうことだった。
私は兄さんの、麻子に対する気持ちを昔から知っていた。そこで考えるのは、もし兄さんと麻子が付き合うようになったら、私は、独りになってしまうんじゃないかということ。いまの麻子は、私と同じことで悩んでいる。
「もちろん、麻子はわたしの一番の親友だよ。これからもずっと。」
だからわたしは即答した。
「ありがとう。」
かげがえのない親友の、この笑顔を、守りたいから。
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