2010年09月01日

終結来ず、来る終幕 # Investigation-I

 殺された母親の下で意識を失っていた少女、松本奏樺が眠りから覚めた。彼女が入院している病院へ向かうよう指示された霧積と碓氷は、そのロビーに入った。
 「さすが市民病院というだけあってデカいねえ。」
 「なんか嬉しそうですね。」
 「おうよ。俺たちが一番乗りだぜえ?それも俺がわざわざ大和市まで昼飯を食いに来たからだ。」
 「まあ、いいですけど。面会なんてできないと思いますよ?」
 「そうだろうよ。だから俺たちが用があるのはあっちだ。」
 看護士が何人もいる受付を指さした霧積はその内の一人と二言三言話をした後、北の病棟へ案内された。もちろん碓氷も追従する。
 歩が止まったのは長い廊下に立ち並ぶ部屋の中で唯一表札が貼られた、そして一番奥の扉の前だった。
 「ここか。松本奏樺の主治医の部屋。」
 「なんか、病院でこういう薄暗い場所って気味悪いですね。」
 「なんだ?お前刑事のくせに幽霊とか信じてるんじゃねえだろうな。」
 そう言いながら扉をノックする霧積に対し碓氷が言い訳をしようとしたところで、油のノリが悪い扉が重たく開いた。
 「どうも。岩音警察署の霧積と碓氷です。樋継先生かい?」
 北側の部屋だというのに、窓に取り付けられたシャッターブラインドは不気味さの演出に更に一役を買っていた。
 「あ、はい。はじめまして。樋継健司です。……ああ。どうぞ、中へ。」
 目の下に隈を残しながら実に眠たそうな挨拶を返す。およそ医師として不釣合いなのかどうかという曖昧な名を持つ彼が、松本奏樺の主治医である。年齢は三十路前ほど。おそらく交際相手はいないだろう。皺の多い白衣とボタンを掛け違えたシャツ、おそらく自分で切ったのであろう不揃いな髪型からそういう印象を受ける。
 「岩音からわざわざご足労いただいて申し訳ないんですけど……、どっこいしょ。面会は難しいですよ。精神的にかなり参っている。人を見ただけで暴れだしましたからね、実際。いまはなんとか、鎮静剤を呑ませて大人しくさせていますが、長くは保たないでしょうね。……ああ、刑事さんたちもどうぞ座ってください。」
 話の途中で腰を降ろした樋継医師は思い出したように二人に椅子を勧める。しかし霧積は立ったまま話を続けた。
 「で、先生から見て、人と話ができるのにどれくらいだ?」
 「なんともいえないですね。まだ小学3年生の子供ですから、ただでさえ親以外の大人は苦手って年頃ですし。」
 「姉っ子は会わせられないのかい。」
 「ああ、そういえば、この子お姉さんがいるんでしたっけ?」
 「ええ、ひとつ上の、小4の姉が。」
 「断言はできませんが、まあ唯一の身内ですし、何とか会話はできるかもしれないですね。事件に関わること以外の話だったら。」
 「おいおいそりゃないだろう。」
 「無茶を言わないで下さい。事件を思い出して暴れだしたら、また鎮静剤を使わなければなりません。子供相手に何度も服用させると、今度は彼女が死にかねない。」
 「霧積さん。」
 「分ぁかってるよ。ここじゃお医者様は神様だからな。」
 携帯電話で本部と連絡を始めた霧積を後ろに、碓氷は樋継に質問を続けた。
 「ところでその、彼女が目覚めた時、何か言わなかったですか?なんでもいいんですけど。」
 「どうでしょうね。悲鳴にしか聞こえませんでしたし、こっちは抑えるのに手一杯でしたから。」
 「そうですか。」
 「まあ、何か分かったらお知らせします。」
 「はい、よろしくお願いします。」

 樋継医師と話を済ませた2人は、病院の中庭にあるベンチで日に当たりながら缶コーヒーを飲んでいた。
 「で、どうなったんですか?」
 「何がだ。」
 「姉の女の子、会わせられそうなんですか?」
 「ああ、それなら今ごろこっちに向かってるだろうよ。」
 その割には、何か難しそうな顔をしている。
 「どうかしたんですか?」
 「いや、まあとりあえずな。」
 そう言いながらコートの懐から取り出したのは、ICレコーダーだった。
 「まさか、ずっと録ってたんですか?でもあの先生はそんな感じはしませんでしたが。」
 「まあ念のためだ。お前はこれ持って声紋分析回してこい。」
 「え、霧積さんは?」
 「俺ぁ姉っ子に聞きたいことがある。」
 霧積は最後の一口を流し込むと空き缶を離れた場所のゴミ箱へ投げ入れた。
 「心配すんな。帰りはタクシーで帰る。」
 「公費で?」
 「公費で。」
 「……迎えに来ますんで、終わったら連絡下さい。番号知ってますよね?」
 「そうか。悪いな。番号は、おう、登録してあるぜ。」
 「じゃあ、行きますけど。問題は起こさないで下さいよ?」
 「おぉう。」
 心の中で大きなため息をつきながら、碓氷はその場を離れた。
 彼は所轄の刑事であるが、霧積のお目付役でもある。たまに暴走しがちな霧積を制止させるよう、上から云われている。ベテランである霧積には、同じベテランの忠告よりも新人の忠告の方が有効であるという判断からだった。一方霧積は、そんな碓氷の教育係を担っている。バランスが悪いようで、実はなかなか良いコンビだ。


 「奏樺、大丈夫?」
 「……何が?」
 「何がって……。ケガとかはないの?」
 「ケガ?」
 「うん……。その、痛いところとか、ない?」
 「ない。」
 「奏樺、ごめんね。ひとりにして。こうなったの、わたしのせいだよね。奏樺、本当にごめんね。」
 「ねえ、カナカって。」
 「え?」
 「カナカって誰?」
 「奏樺?……あの、先生?」
 「予想はしていましたが、最悪の結果ですね。」
 「どういう意味ですか?」
 「僕は君の主治医で樋継健司といいます。君が松本奏樺ちゃんではないなら、君の名前はなんていうのかな。」
 「名前……。名前は、五十鈴空。」
 「なにそれ。先生、どういうことですか?」
 「奏樺ちゃんは心を閉ざしたということです。」

 「と、まあそういうことだそうだ。」
 ICレコーダーの再生を止め、霧積は腕を組んだ。
 「この後もう一度医者先生と話したんだが、この妹子の状況は事件時のショックによる精神保護のための無意識の自己防衛だとかなんとか。とにかく勝手にもう一人の人格を生み出して、自分の身に起こったことをなっかたことにしたそうだ。」
 背広の男とは不釣り合いなほどおしゃれな喫茶店での一角。碓氷はテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばし、カフェインで口を潤しながら霧積の言葉を聞いていた。
 「ヘヴィですね。」
 「なんにしても、手掛かりはこれで減っちまった。他の砂利ん子はホシを見てねえし、医者先生も白だ。地道に物証挙げるしかなくなってきたなあこりゃ。」
 確かに、自分たちが集めた手掛かりはどれも犯人に繋がることなくその意味を失ってしまい振り出しに戻った。
 「そうだ碓氷。お前明日霧宮まで行け。」
 「霧宮?なんで。というか、また別行動ですか?」
 「ムコウからの応援要請だ。ホシは霧宮の公衆電話から犯行予告を掛けている。上の連中も承認済み、霧宮の所轄と合同捜査になるから仲良くやれととさ。俺は明日休暇だ。」
 「はあ、そうですか……。ところで霧宮町の電話ボックス全て調べて回るんですかね。」
 「そうだろうよ?霧宮は既に全ボックスに対し監視体制に入ってるそうだ。もっとも、犯行後に予告の電話をしている可能性もあるが。」
 「そして、別の場所から掛ける可能性もある。」
 「奴さんとのイタチごっこになるか、網に引っかかるか。ま、根比べだな。」
 4日間で3世帯の被害。多すぎる犠牲だ。しかしこの3世帯の繋がりも共通点も今のところ見つかっておらず、犯人の意図も分からないままである。
 「ところで霧積さんって、休みの日は何して過ごしてるんですか?」
 「まあ主に散歩だな。例えば散歩の途中で仕事中のお前らとバッタリ会ってもそれはただの偶然だ。」
 要するに休みの日でも捜査してるということか。碓氷はそれに改めて尊敬しつつも少し呆れてしまった。
 「それで、明日は何処へ行くんですか?」
 「言えん。そりゃ秘密だ。」
 「そうですか。」
 「さて、そろそろ帰るか。」
 霧積が立ち上がったので碓氷もつられて席を立つ。周りを見ると学生や若いカップルの数が増えてきていた。


 しかしその日以降山川町での事件は途絶えた。そのまま一ヵ月が経ち、年が明けしばらくした頃。捜査本部及び周辺各署の総合的判断により一時警備の緩和化を決定。
 そしてその後、霧宮町を中心に連続通り魔事件が発生。その第4の被害者、七門昂の行動によりその犯人は捕まる。
 犯人は通り魔事件についての供述の中で夫妻殺害事件の犯行を自白。警察も関与の裏付けを取り、このふたつの事件は10名の被害者の後に終幕した。

 だが事件の解決は、未だしていない。



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2010年06月29日

霧積正和という刑事 # Investigation-I

 2000年。クリスマスも間近に迫った12月のある日の夜。事件は起きた。
 その事件は、110番に掛かった一本の電話から始まった。

 「いまから人を殺しに行くよ。場所は山川町のどこか。急いでね。」

 その陽気な声は子供のようで、楽しげだったという。これを受けた警察は直ちに山川町内の警戒を強化。しかし不審な人物を確認できず、狂言と判断しかけたその時にそれは発覚する。
 巡回中の交番巡査が夜道を一人歩く少女を発見、自宅に帰る途中だというので同伴した。彼女を送り届け再び巡回に戻ろうとしたその背後に、悲鳴が響いた。


 「こちら山川町派出所の金子!住所133の8にて警戒措置!至急応援求む!」
 ……やけに静かだ。さっきの子は、まさか?
 玄関から廊下、一番奥の部屋の明かりがついていた。彼女はあそこだろうか。警棒を握り締め、奥へ奥へと歩を進める。緊張が走る。
 目的の部屋に着いた。リビングだった。足元に、少女が力なく座り込んでいた。
 「大丈夫か?どうした!」
 しかし訊くまでもなかった。それをすぐに理解した。少女の悲鳴、床に崩れるほどの衝撃。彼女の眼前に広がるのは血の海。おそらくは、父と母の息絶えた体。
 「……こちら山川町派出所の金子。警戒地点にて重傷者二名を確認。救急救命車の手配求む。」


 この後到着した応援の刑事たちによって、夫妻の死亡を現場にて確認。同時に、母親に庇われ意識を失っていた第二子・松本奏樺と、第一発見者である第一子・松本杏樺を併せて保護した。
 翌未明、警視庁は"山川町夫婦殺害事件"として捜査本部を設置。電話の声の解析をはじめ各方面からの捜査を開始。
 さらにその2日後、犯人より2度目の電話があり新たに2世帯で犠牲者が出た。


 事件発生から4日目。朝から立て続けに2軒の家を廻った霧積と碓氷は銀色のセダンで国道を北上していた。時刻は既に太陽が南から西へ向き始めている。
 「コイツは、相当悪趣味な奴だな。」
 「全くです。目的は何でしょう。」
 「さあな。」
 「PTSDを植えつけているとか思えないこのやり方……。犯人も、何らかのトラウマを持っているということでしょうか。」
 「そうだとしても、コイツは今愉しんでいる。」
 「………。」
 霧積警部補と碓氷巡査。捜査本部設置の際は何かとペアを組まされることの多い二人である。そして、今回は"山川町夫婦殺害事件"改め"山川町夫婦連続殺害事件"の捜査を進めていた。
 「でも霧積さん。なんで大和市に?」
 碓氷の運転する車は霧積の指示で山川町から北の大和市に入っていた。その質問に、事件調書の遺体写真を見ながら淡々と答える。
 「腹ごしらえだ。」
 「そうですか。」
 苦笑するしかなかった。
 「この前面白いラーメン屋を見つけてな。味は格別に美味いわけでもなく、かと言って不味くも、素朴な味でもねえ。なんとも表現しがたいんだが、たまにこうやってまた食べたくなるんだ。」
 「へえ、なんて店です?」
 「莱来堂。」
 「ああ、あの辰珠館のライバル店ですね。名前は聞いたことあります。」
 「辰珠館って署の向かいにあるあれか。」
 「ラーメン食べに隣町なんて。また部長に怒られますよ?」
 「捜査の一環だって言えばいいだろう。それより、今の交差点左折な。」
 「ぐっ……。」

 大和市、莱来堂3号店、その店内。
 碓氷が炒飯一皿を食べ終わる頃、霧積は定番となった醤油ラーメンに替え玉を注文し、つまり二杯分を完食していた。またも、遺体写真を見ながら。
 「何か引っかかるんですか?」
 「なんだ。いま食い終わったのか。」
 碓氷は自分の時計を確認する。注文が運ばれてからまだ八分だ。
 「五分で食え。そんなもん。味わうな。要は栄養が入れば良いんだ。」
 「あの、おかわりしてましたよね?」
 「俺は味わいつつ早く食べられるんだよ。経験値の差ってやつだな。」
 半分感心しつつ、一方ではその境地には達したくないという葛藤を巡らせながら碓氷は質問を変えた。
 「ところで霧積さん。今回の事件、どう思いますか?」
 「どうって何がだ。」
 「妙なことばかりです。犯人から電話が掛かってきていること、変声機も無しにですよ?おまけに小学生の子供がいる家を狙い、親だけを殺していく。」
 「だから、愉しんでんだろうよ。」
 「殺人を、ですか?」
 「それもだろうし、俺たちとの――」
――ピリリリリリ
 「霧積。……ああ。……おう、分かった。すぐ行く。――碓氷、勘定頼む。」
 「呼び戻しですか?」
 「いや?すぐ近くだ。」
 ニッと笑いながら着古したコートを羽織る。刑事霧積の10分間の休憩が終わった。



posted by 秋雲 at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ARS A-side | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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